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| ■ 丸山 茂樹
更新日:2007/08/29(Wed) 01:55 [修正・削除] [管理者に通知]
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| [丸山茂樹] |
| 2000年から米国ツアー参戦を開始。2年目に初優勝。現在、通算3勝。メジャーでも、2002年「全英オープン」、2004年「全米オープン」で優勝争いを展開。トッププロとしての地位を築いた。2005年も、クライスラークラシックofグリーンズボロで2位になるなど、上位に入賞。移動手段はプライベートジェットで、米メディアからは「スマイリング・アサッシン(笑顔の暗殺者)」と呼ばれる。 |
| 第1位 -> 2pt |
| ■ 石川 遼(アマ)
更新日:2007/08/29(Wed) 01:55 [修正・削除] [管理者に通知]
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| [石川遼(アマ)] |
| 中学生のころからジュニア競技で好成績を残し、2005年には「全国中学校ゴルフ選手権」で、2006年には「埼玉県アマチュア選手権」で優勝するなど、早くからその名を馳せる。同年、アマチュア最高峰の大会「日本アマチュアゴルフ選手権」に出場して予選落ち。その悔しさから、同大会での優勝を当面の目標に掲げるようになる。そして、杉並学院高校に進学してから間もない2007年の5月、国内男子ツアー「マンシングウェアKSBカップ」に出場し、史上最年少優勝(15歳8ヶ月)の偉業を達成。勝利者インタビュー時の言動や仕草が“ハニカミ王子”との愛称を生み、テレビや雑誌媒体が大々的に報道。今や社会現象にもなるなど、まさに彗星のごとく現れた次代のスーパースターである。 |
| 第3位 -> 1pt |
| ■ 近藤 智弘
更新日:2007/08/29(Wed) 01:55 [修正・削除] [管理者に通知]
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| [近藤智弘] |
| 東京学館浦安高に在籍中、日本ジュニアで優勝。その後、専修大学に進むと日本学生でも勝利し、代表として出場したアジア大会で金メダルを獲得するなど、アマチュア時代に輝かしい戦績を挙げて2000年にプロ転向。4年目となる2004年シーズンには、トップ10入りの競技を着実に増やし、安定したプレーを続けた。2005年も何度もベスト10フィニッシュを果たすものの優勝には及ばなかった。2006年に入り、これまで見放されていた勝ち運が一気に上昇。 国内メジャーの「日本プロゴルフ選手権」でプレーオフを制し悲願の初優勝を遂げると、「ANAオープン」では2日目からのリードを守りきる貫禄すら感じる勝利。賞金ランクも自己ベストの10位に入り、今後のさらなる活躍を期待させる飛躍の年となった。 |
| 第3位 -> 1pt |
| ■ 林 根基
更新日:2007/08/29(Wed) 01:55 [修正・削除] [管理者に通知]
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| [林根基] |
| 台湾が誇る人気ナンバーワンゴルファー。2001年の「アイフルカップ」でツアー初勝利を挙げると、同年の「全日空オープン」でも勝って年間2勝を達成。1億円に届こうかという賞金を稼ぎ出し、ランキング6位に付けて一気にファンを増やした。その実力からすると2003年と2004年の成績は不本意だろう。2003年は24試合に出場したが、ベスト10フィニッシュは「アコムインターナショナル」の5位タイと、「ブリヂストンオープン」の3位タイのみ。2004年にしても、賞金ランキング66位と振るわなかった。しかし2005年、4年振りとなる3勝目を「セガサミーカップ」で獲得。深刻な首痛に悩まされながらも、さまざまな方法で、懸命に治療につとめながらプレーを続ける中での優勝だった。 |
| 第3位 -> 1pt |
| ■ 宮里藍 (米国女子参照)
更新日:2007/08/29(Wed) 01:55 [修正・削除] [管理者に通知]
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| [宮里藍 (米国女子参照)] |
| 1999年、2000年と全国中学選手権を制し、2001年に東北高校へ進学。全国高校選手権でも2001、2002年に連覇を達成。2002年アジア大会個人の部でも金メダルを獲得する。2003年には日本女子アマや日本ジュニアでも優勝。プロ主体の日本女子ツアーにも、2000年3月から参戦している。2004年からはプロへと転向し、本格的にレギュラーツアーに出場。初戦のダイキンオーキッドレディス、We Love KOBE サントリーレディス、アピタ・サークルK・サンクスレディス、マスターズGCレディースと、瞬く間に4勝を挙げて「藍ちゃん」旋風を巻き起こし、一種の社会現象にもなった。2005年もその勢いは止まらず、年間6勝をマーク。2006年米国女子ツアーの出場資格を賭けた「ファイナルクオリファイ」にも出場し、2位に12打差の大差でトップ通過を果たした。 米国女子ツアー初挑戦の06年、優勝はできなかったが2年間のシード権を獲得。9月に帰国し初戦の「日本女子プロゴルフ選手権」で国内メジャー2勝目を飾った。 |
| 第3位 -> 1pt |
| ■ 尾崎 直道
更新日:2007/08/29(Wed) 01:55 [修正・削除] [管理者に通知]
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| [尾崎直道] |
| 1988年の日本シリーズ、1990年の日本プロマッチプレー、1999年の日本プロ&日本オープンと国内メジャー4冠も達成。この偉大な記録は、村上隆、青木 功、中嶋常幸、尾崎将司に次ぐ快挙でもある。また、1991年には日経カップ、日本シリーズなどを含めて年間4勝。賞金総額も1億円を突破し、初の賞金王に輝いた。1993年から参戦した米ツアーでは、勝利こそなかったのものの8年間シード権をキープ。1997年のビュイックオープンでは2位タイなどの成績を残した。2003年のブリヂストンオープンでは、3年ぶりに日本ツアー優勝。2005年は「つるやオープンゴルフトーナメント」、「中日クラウンズ」と2週連続優勝を飾り、腰痛に悩みながらも、見事な成績を見せた。米チャンピオンツアーのQTを3位で通過。5月の誕生日以降の参戦に、また目が離せない存在となる。 |
| 第3位 -> 1pt |
| ■ 横田 真一
更新日:2007/08/29(Wed) 01:55 [修正・削除] [管理者に通知]
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| [横田真一] |
| 専修大学時代に参加した日本オープンでローアマを獲得し、一躍注目を浴びる。卒業してプロ入りすると、翌年にはシード権を獲得。それ以降、常に安定したプレーを展開し、トッププロの地位を不動のものとした。初勝利は1997年の全日空オープン。これで波に乗るかと思われたのだが、一時アプローチイップスで低迷。これを必死に克服し、2001年頃からは逆に小技の名手として復活。2005年、「ゴルフ日本シリーズJTカップ」では安定したプレーを見せ、単独の2位に。選手会長としても、活躍を見せた。あとは、念願の2勝目が期待される。プライベートでは大のクルマ好きとしても知られ、サーキット走行を楽しんでいるほどである。 |
| 第3位 -> 1pt |
| ■ 佐藤 信人
更新日:2007/08/29(Wed) 01:55 [修正・削除] [管理者に通知]
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| [佐藤信人] |
| 2000年代に入って2度賞金王争いを展開。日本ツアーを代表するトッププレーヤーとなったが、2003年は賞金ランキング31位。本人の実力からすれば低迷といっていい。それでもベスト10入りが4回。マンダムルシードよみうりオープン、ミズノオープンでは、それぞれ2位、3位タイとなり、優勝争いに絡んだのはさすがだ。同年は、かねてから目指していた海外参戦のため、欧州ツアーのQTにも参加。結果は5位で、見事ツアー挑戦権を獲得した。2004年は2月から欧州、アジアのジョイントツアーに出場。ロンドン郊外に滞在し、そこを拠点に欧州ツアーに参戦した。最高位は、カタール・マスターズの2位。残念ながら優勝には、あと一歩届かなかった。2005年は日本ツアーに本格復帰し、ウッドワンオープン広島で3位に入るなど活躍した。 |
| 第3位 -> 1pt |
| ■ 岩田 寛
更新日:2007/08/29(Wed) 01:55 [修正・削除] [管理者に通知]
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| [岩田寛] |
| 父親の影響で14歳からゴルフを始める。東北福祉大学卒業後2004年にプロに転向する。2005年は10試合程度に出場するもシード権を取るまでには至らなかったが、ファイナルQTを37位タイで通過し、2006年に望んだ。その2006年は前半は思ったように活躍できなかったものの、「ウッドワンオープン広島」で初のベスト10フィニッシュ。後半戦「日本オープンゴルフ」で、自身最高順位となる5イタイに食い込む活躍を見せた。また「アサヒ緑健よみうりメモリアル」でも6位タイに入り、初のシード権を獲得。若さを武器に、今後の活躍が楽しみなニューフェースの誕生といえるだろう。 |
| 第3位 -> 1pt |
| ■ 福嶋晃子
更新日:2007/08/29(Wed) 01:55 [修正・削除] [管理者に通知]
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| [福嶋晃子] |
| 1988年の関東ジュニア選手権を皮切りに、アマチュア通算28勝、ベストアマも1991年の「日本女子オープン」などを含めて11回獲得する。また、1992年の「全米女子オープン」では29位タイと大健闘を見せ、同年8月のプロテストに一発合格。1994年の「ダイキンオーキッドレディス」でツアー初優勝を飾った。以後、毎年勝利を積み重ねていき、1996年には賞金女王に輝く。翌1997年は年間6勝と絶頂期を迎え、アメリカツアーへも積極的に参戦するなど、トッププロの地位を不動のものとした。その後もコンスタントに勝利を重ね、その圧倒的な存在感を維持し続けている。2005年は未勝利に終わったものの、2006年には1998年以来となる2勝を達成し、同じく1998年以来となる賞金ランクトップ10入りを果たした。 |
| 第3位 -> 1pt |
| ■ タイガー・ウッズ
更新日:2007/08/29(Wed) 01:55 [修正・削除] [管理者に通知]
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| [タイガー・ウッズ] |
| 本名エルドリック。「タイガー」は、父アールのベトナム戦争時代の戦友だった将校の名前から付けられた。AJGA(ジュニア)時代は今田竜二ともライバルだった。タイガー・ウッズ基金を設立し、ジュニア育成やチャリティ活動なども積極的に行っている。2004年10月にエリン嬢と結婚。2007年の夏には、第一子の誕生が予定されている。2005年は「マスターズ」と「全英オープン」、2006年は「全英オープン」と「全米プロ」とメジャー2勝ずつを達成。夢の年間グランドスラムに一番近い存在だ。 |
| 第3位 -> 1pt |
| ■ 横峯さくら
更新日:2007/08/29(Wed) 01:55 [修正・削除] [管理者に通知]
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| [横峯さくら] |
| 2004年プロテストに合格。プロ入り直後の時期には、同級生でありライバルの宮里 藍に先を越された感があったが、メンタル&技術面ともに実力は全くひけをとらない。プロ1年目は、ステップアップツアーの穴吹工務店レディースで優勝し、「日本女子オープンゴルフ選手権」や「樋口久子ゴルフ殿堂入り記念IDC大塚家具レディス」でも2位に入った。プロ2年目の2005年、「ライフカードレディスゴルフトーナメント」で初優勝を遂げると、年間2勝を挙げ賞金ランク4位。翌2006年はメジャー1勝を含む年間3勝を挙げ、賞金ランク3位。好不調の波の大きさもすっかり影をひそめ、賞金女王に手が届くところまでに成長した。海外挑戦への意欲も示し始めており、今後の女子プロゴルフ人気を先頭に立って牽引する存在だ。 |
| 第3位 -> 1pt |
| ■ S.K.ホ
更新日:2007/08/29(Wed) 01:55 [修正・削除] [管理者に通知]
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| [S.K.ホ] |
| 国体育大学を卒業後、すぐにプロへ転向。当初は韓国ツアーでプレーしていたが、師匠の林陳漢に勧められて日本ツアーへ参戦。日本での初競技は2001年のチャレンジツアー「プロギアカップ」で、2戦目となる「イーヤマチャレンジ」で見事優勝した。そこからグングン力を付け、2002年の「住建産業オープン広島」でレギュラーツアー初優勝。フル参戦となった2003年は、やや調子を落としたが、2004年に入って好調を維持。「日本プロゴルフ選手権」や「日本ゴルフツアー選手権」などで勝利。2005年も好調を維持し、「日本プロゴルフ選手権」を2連覇するなど、2勝を挙げた。 2006年は「ミズノオープン」で勝利し、その資格で「全英オープン」に出場。11位タイに入る健闘を見せた。 |
| 第3位 -> 1pt |
| ■ マイク・ウィア
更新日:2007/08/29(Wed) 01:55 [修正・削除] [管理者に通知]
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| [マイク・ウィア] |
| カナダ人初のメジャー優勝者。少年時代はアイスホッケーに夢中だった。13歳の時、「左利きを右に矯正すべきか?」と問う手紙をジャック・ニクラスへ送り、「そのままで」という返答に従って、レフティのまま現在に至る。2004年は「ニッサンオープン」で丸山茂樹と熾烈なバトルの末、辛勝。2005年は優勝こそなかったものの、AT&Tペブルビーチナショナルプロアマで2位に入った。 |
| 第3位 -> 1pt |
| ■ パドレイグ・ハリントン
更新日:2007/08/29(Wed) 01:55 [修正・削除] [管理者に通知]
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| [パドレイグ・ハリントン] |
| 2004年シーズンは、米ツアースポット参戦のノンメンバーながら、賞金ランクトップ30に該当する荒稼ぎぶりだった。世界的な大会でも成績上昇中。アメリカでは2003年ターゲット・ワールドチャレンジ(非公式戦)で、ホストプロのタイガー・ウッズを抑えて優勝した。欧州ツアー通算10勝。2005年からは米ツアーに本格参戦し、「ホンダクラシック」他、2勝を挙げている。また、2006年に日本で開催された「ダンロップフェニックストーナメント」では、同じく招待選手として参戦していたタイガーをプレーオフで破り優勝。さらに同年、欧州ツアーで賞金王に輝くなど、世界各地でその名を轟かせている。 |
| 第3位 -> 1pt |
| ■ 田中 秀道
更新日:2007/08/29(Wed) 01:55 [修正・削除] [管理者に通知]
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| [田中秀道] |
| 2001年Qスクールを通過し、米国ツアー本格参戦。デビュー戦(ソニーオープン)の初日にホールインワンを記録。徐々に成績を上げ、優勝争いに加わる回数も増えた。ところが、2004年以降は首痛などの故障に見舞われて本来の実力を発揮できず、2006年シーズンを終えて5年間保持してきたシード権を喪失。2007年は6年ぶりに日本ツアーに本格参戦し、低迷する男子ツアーの盛り上げ役を担う。 国内男子速報記事はこちら |
| 第3位 -> 1pt |
| ■ 川岸 良兼
更新日:2007/08/29(Wed) 01:55 [修正・削除] [管理者に通知]
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| [川岸良兼] |
| ジュニア時代から才能を発揮し、日本大学に進んでからは日本アマ、日本学生など数々のタイトルを手中に収め、1989年に鳴り物入りでプロへ転向。翌年にいきなり3勝を挙げ、賞金ランキング3位と、周囲の度肝を抜く活躍を見せた。ところが、その後はスイング改造の試行錯誤などにより、極度の不振に陥る。1999年「フィリップモリス」を制した時には復活を予感させたが、2001年に賞金シードから脱落。2002年はQTに回ることとなった。2003年も22試合に参戦したが、本調子にはほど遠い内容。しかし2004年の後半戦に入り、「ABCチャンピオンシップ」と「ダンロップフェニックス」で2位、「カシオワールドオープン」で3位タイに入るなど、復調の兆しが見え始めた。2005年も2位が3回と、あと一歩のところで優勝を逃している。2006年の最高位は単独3位にとどまったものの確実にシード権をキープし、1999年以来となる復活優勝の雰囲気を漂わせている。 |
| 第3位 -> 1pt |
| ■ フィル・ミケルソン
更新日:2007/08/29(Wed) 01:55 [修正・削除] [管理者に通知]
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| [フィル・ミケルソン] |
| 父親のスイングを鏡に写すように真似て覚えたため、スイングはレフティだが、他はすべて右利き。パイロット免許を所持し、飛行機操縦が趣味。米ツアー初優勝はアマチュア時代の1991年ノーザンテレコム。2004年「マスターズ」で優勝し、長年の「無冠の帝王」の汚名をついに晴らした。2005年の「マスターズ」では10位に終わり、連覇はならなかったが、「全米プロゴルフ選手権」で完全優勝を飾り、メジャー大会2冠目を奪取。さらに2006年には2度目の「マスターズ」制覇を達成するなど、年々プレーに磨きがかかっている。 |
| 第3位 -> 1pt |
| ■ イアン・ポールター
更新日:2007/08/29(Wed) 01:55 [修正・削除] [管理者に通知]
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| [イアン・ポールター] |
| 短く切った3Wを手に、4歳からゴルフを始めた。2000年、欧州ツアーのデビュー年に優勝し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞。現在まで毎年1勝以上を挙げている安定したプレーヤー。奇抜なファッションとヘアスタイルがトレードマーク。兄のダニーはクラブプロ。 |
| 第3位 -> 1pt |
| ■ 上田桃子
更新日:2007/08/29(Wed) 01:55 [修正・削除] [管理者に通知]
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| [上田桃子] |
| ティーチングプロの第一人者として知られる江連忠の門下生。10歳の時から坂田塾でゴルフを始め、東海大付属第二高校1年の時に九州女子アマで2位となって脚光を浴びる。その後、2005年のプロテストに3位で一発合格し、同年のLPGA新人戦「加賀電子カップ」で優勝。2006年はレギュラーツアーに本格出場して「クリスタルガイザーレディース」で3位タイ、さらに「日本女子プロゴルフ選手権大会コニカミノルタ杯 」や「マンシングウェアレディース東海クラシック」で4位タイに入るなど活躍し、シード権を獲得。2007年に入り高いポテンシャルが結果に表れ始め、地元熊本開催の「ライフカードレディスゴルフトーナメント」で初優勝。世界挑戦への意欲も高く、将来性豊かな若手プレーヤーの一人だ |